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観光・その他 [ 岐阜 ] 日本大正村

アニメで話題の大正時代の街並みや建物がレトロな雰囲気を残しています。

日本全土が都市化、近代化の波に呑み込まれています。
そんな中で静かな山あいのまち、岐阜県恵那市明智町はかつて蚕糸を地場産業としていた頃そのままに、建物も大正時代のたたずまいを残しています。
生活・文化・建造物、そして街並みや風景や人情までふくめて町ぐるみ日本大正村。
だから現に生活している、いきづいたままの大正村。


【おすすめ散策コース】
大正時代にタイムスリップしたような懐かしい町並みをゆったりと散策するコース。代表的な観光スポットやお店を効率よく巡って、町の魅力を存分に味わえます。

【なりきりハイカラさんコース】
矢絣はかま体験の衣装を着て散策できる「なりきりハイカラさんコース」。歴史と情緒あふれる町並みを、雰囲気に合うはかまを着て散策しながら、お気に入りの場所でシャッターをパチリ。

【歴史・史跡 探訪コース】
当地の伝説によれば戦国武将 明智光秀公がしばらくいたといわれています。身近な史跡や歴史に触れながら、遠い記憶にある懐かしい町並みにタイムスリップしてみませんか?

大正村あゆみ・特集記事・交通アクセス

日本大正村のあゆみ

 

時代背景

昭和50年代、明智町は企業の多い町であり一時期は岐阜県内でも上位の財政力を持っていた。しかし、技術革新時代を迎え、従業員を減らしだした。当時の主産業である林業や製材業も不振となり、急速に過疎化を迎えていた。追い討ちをかけるように昭和56年6月10日 国鉄は明知線を含む15鉄道線区と23バス線区を特定地方交通線に選定した。これは事実上の廃線であった。

 

大正村構想

長野県木曽郡日義村の沢田正春氏の「大正村の看板を立てれば、人はきっと集まる」という構想を明智町観光協会が受け激論が繰り返された。今まで観光客など訪れた事のない町であったことや国鉄明知線廃止問題を抱える観光協会は反対のムードが高まっていた。しかし、当時の明智町が時代に取り残されていくという危機感と、推進派の説得により意見は逆転し、昭和58年9月25日に観光協会は大正村建設を決断した。

 

日本大正村立村

大正村建設に踏み切った観光協会は昭和58年11月6日には大正村設立準備委員会を発足、翌年5月6日には大正村実行委員会へと生まれ変わり、日本大正村を立村した。旧明智町役場を事務所を儲け、「日本大正村役場」として看板を掲げ、沢田正春氏の狙い通り、多くの観光客が訪れることとなった。しかし、観光客を迎えるには不十分な箇所もあり、明智町の住民は「大正路地から大正村役場までの道を石畳に」「資料館を」「町営駐車場を」など様々なアイディアを出し始めた。そのアイディアは昭和60年度から始まった自治省の「町づくり特別対策事業」で実現した。

訪れる観光客の中には「どこにでもある町」と非難する人もあったが、概ねは故郷の様な雰囲気やゆったり出来る空間を快く受け入れてくれた。また、昭和60年には東京大正会と交流を行ったり、全国に応援をする人が増え、多数の貴重な資料や物品の提供を受けた。その結果、資料館の入場者は昭和61年には約6万人、昭和62年には15万人に及んだ。

 

(日本大正村公式HPより)


 

日本大正村紹介記事

ライター 紅蓮さんの日本大正村紹介記事です。

 

 


 

 

交通アクセス

 

電車

JR中央線「恵那駅」より明知鉄道「明智駅」下車 徒歩5分(JR名古屋駅からの所要時間 約1時間)

 

バス

JR中央線「瑞浪駅」より東鉄バスで約45分(JR名古屋駅からの所要時間 約1時間20分)

 

中央自動車道 恵那インターより国道257号線 国道363号線経由 40分

中央自動車道 瑞浪インターより県道20号 国道363号線経由 40分

 
 

INFORMATION基本情報

TICKETチケット情報

日本大正村

前売券

※詳細はチケット購入ページにてご確認下さい

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